DV被害者保護との矛盾
DVから逃げた後、離婚に向けて具体的に動き出したとき、DVが原因の離婚であろうと、面会交流を実施することが実質避けられないということにびっくりしました。
まず、法テラス経由で伺った弁護士の方に「面会交流しようね」と言われ、被害者サイドの弁護士からもいきなり面会交流を促されることに驚きました。
やっとのことで加害者から逃れたばかりで、住基法上の支援措置を受けて引っ越し先の住所も隠しながら生活し、地方裁判所が保護命令を発令して接近を禁じている状況であっても、離婚調停を始めた途端、家庭裁判所ではすぐにでも面会交流をスタートするよう言われます。
親同士は直接顔を合わせずに、子どもだけを安全に確実に相手方に引き渡し、再び相手方から引き取るというのは困難を伴い、被害者側にとっては、加害者と鉢合わせてしまうリスクと隣り合わせの状況に置かれます。 面会交流の受け渡しの際に、一度だけですが、相手方と鉢合わせをしてしまったことは実際にあります。
相手方を子どもと接触させると、子どもを通じて、こちらの居場所の特定につながる何らかの手掛かりを、加害者に提供してしまうおそれが付いて回ることになり、そうなると、行政の支援措置も一体何のためにあるのか、ということにもなりかねません。
私の場合、保護命令が邪魔になって、連絡を取ったり子どもを会わせたりすることが出来ないから、と保護命令の期限が切れるのを待って、まだ離婚調停が継続しているうちから、試験的に面会させることを余儀なくされました。
地裁に出してもらった保護命令が、家裁で邪魔扱いされるという矛盾。保護命令がまだ有効なのにもかかわらず、家裁から面会交流をなかば強要されたという人の話を聞いたこともあります。こうなると、地裁の保護命令も、一体何のためにあるのかと思ってしまいます。
「いずれは必要なことかもしれないけれど、今じゃない。あまりに時期尚早。」という被害者側の悲痛な叫びは汲んでもらえないことがショックでした。だからといって受け入れずに拒否していては、離婚を成立させることもできません。
『離婚後の暮らしを考える親の会』のオンライン署名活動
面会交流の押し付けをやめてください!
離婚後における原則面会交流実施の早急な見直しとDV・虐待被害者へのさらなる配慮を求めます!
ついこの間まで、今後一切会うことがあってはいけないかのような勢いで、すぐに離れなさい、なるべく遠くへ逃げなさい、と諭されていたところへ、今度は、すぐにでも会いなさいと言われる矛盾。面会の際の移動の距離的・時間的負担だけを考えても、市内での引っ越しにとどめておいたのは大正解でした。もし配偶者暴力相談支援センターに指示されるまま、素直になるべく遠い他府県へ避難していたとしたら、今頃は大変どころでは済まない状況に追い込まれていたはずです。
第三者機関
DV等により父母が直接会うことが出来ない事情があり、面会交流の実施に困難を抱えているという両親を支援する団体がいくつかあります。面会の際の子どもの受け渡し・面会時の立会い・日程調整のためのやり取りの仲立ち等が必要な場合に、サポートを受けることができます。
ただ、登録の際に費用がかかる他、利用の都度、結構な費用がかかります。双方でしっかり話し合って、合意がきちんと出来ている状況でなければ利用に至ることが出来ず、そもそも話し合い自体が難しければ、現実的な選択肢ではありません。登録のためには父親と母親それぞれが個別に面談を受けることも要件です。また、面会交流をスタートできるようにするための、あくまでも暫定的な支援というスタンスで、何年も継続してサービスを受けられるわけではないようです。
離婚調停の際、面会交流について取り決めをするためのたたき台として、面会交流に関する条件や希望のようなものを、あなたの方から出してほしい、と調停委員さんがこちらの思いを聞いてくれましたが、第三者機関の利用を希望したところ、相手方が「そんなバカな!自由に会えないなんて!」と、随分取り乱して荒れたようで、調停委員の方は「参った参った・・・」とため息をついておられました。「たしかに感情をコントロールできない人のようですね。あなたのおっしゃっていたのが分かった気がします。あれはダメです。」と。
結局、第三者機関の利用については相手方が断固拒否で、全く聞き入れてもらえませんでした。 離婚成立後にも数回頼んでみたことはありますが、一切聞く耳を持ちません。
面会交流の実際
面会交流に関して、離婚調停の場では合意されていた事項が、調停が終わってみると、たくさん無視されたり約束を破られたりで、相手方の好き放題にされています。調停が続いている間は調停委員さんを通じてやり取りが出来ましたが、離婚が成立して相手方と直接やり取りするしかない状態では、身勝手な態度をやめてほしいというこちらの言い分を聞いてもらえず、逆に「言う通りにしなければ訴えてやる」とまで言われます。相手方のストッパーになる存在がいないので、こちらが一方的に不利な状況に置かれていると感じます。
そんな苦労もあり、面会交流の度にひどく消耗し、どっと疲れてしまいます。面会の後、一週間ほどは子どもの情緒も不安定な状態が続き、こちらの家庭の日常生活に影を落としている部分があると感じます。
負担・リスク・疎外感
相手方にとっては、「子どもに会える!」という、ただ嬉しいだけのことでしかないであろう面会交流ですが、私にとっては、負担・リスク以外の何物でもありません。
子どもを連れて行かなければならないし、連れて帰らなければなりません。子どもが相手方と会っている間、私は出先で待機していなければならず、自分の時間が無駄になります。面会の日は何もできません。
受け渡し時、受け取り時はもちろん、行き帰りや、面会が終わるまで一人で待っている間も、行く先々で相手方にバッタリ会ってしまわないか、常に神経をすり減らします。
面会の際に子ども相手に泣きを入れて来るのは、反則だと思います。子どもは純粋だからこそ、子どもに対してそんな卑怯なことをされると腹立たしいです。泣いている人を見ると単純にかわいそうな人だと思い込み、大丈夫だろうかと本気で心配する子どもが、別れ際につられて泣きながら戻って来て、「お父さんかわいそう。だって泣いてたもん。“ごめん”って言ってくれたから、僕許してあげたよ。だからお母さんも許してあげて。お父さん大丈夫かな。心配。」等と言ってこられると、「私さえ我慢すればこうなっていなかったのに、私ひとりの我がままで、家庭を壊して父親と子どもを引き離し、二人を悲しませるなんて、ひどい母親なんだな、私って。」と、まさにDVから逃げられない被害者そのものの心理状態に追い込まれ、疎外感・孤立感に苦しめられます。
DVという背景事情の有無にかかわらず、画一的に「子どものためには面会交流は必要かつ大事」とする昨今の流れは、面会交流の実施にあたって様々な現実面の困難に直面するDV離婚の場合にはそぐわないということや、面会交流のために主張される子どもの権利も加害者側の権利も、被害者側が一方的に背負う負担やリスクという犠牲の上に初めて成り立つものだということを、各方面から横断的に理解してもらえたら、と思うのですが・・・。