子どもの暴力②

虐待

暴力に対する嫌悪感が半端なく 、暴力というものに対して人一倍過敏に傷付く状態で、さらに、可愛くて仕方ない自分自身の子どもからも、容赦ない暴力を受け続ける、という信じがたいような現実に向き合わされる日々。

子どもからの暴力を受け続けていると、これまでに、10年以上に渡り元夫から受け続けてきた暴力に対する蓄積された恐怖や怒り、私の中に秘められている大きな怒りが呼び覚まされて苦しいのです。

暴力を振るわれても、間違っても怒りで応じてはいけない、というように、どんなに苛酷な状況であれ、大人の側が一方的に非難される。いくら大変な子どもでも、それに対していくら親が一生懸命でも、わずかでも怒りをもって反応してしまえば、その親は悪い親と決めつけられる。だから、子どもにいくら暴力を振るわれようが我慢し続けてしまう。でも、そんな我慢がいつまでも持つわけではないから、発作的に怒りを出してしまうこともある。でも、その場だけを見た他人からは、大人げない行為、場合によっては虐待、というレッテルを貼られる。

暴力に訴えることを断固許さないため、また、自分の身の安全を確保するため、止む無く暴力を抑え込む行動に出ると、深夜だろうが構わず、故意に大声で「ママー!!!止めてー!!!いやぁ~っ!!!!!!ぎゃ~っっっ!!!!!!!!」と、まるで殺されるかのような悲鳴を上げ続ける子ども。これを、何も事情を知らない隣近所の人が聞いたら、普通に虐待と見なしてしまうでしょう。正直、すでに誰かが通報していても不思議はないと思います。

では、そのうち骨折させられようが、失神させられようが、それでも黙って暴力を受け続けなければならないのか?親である以上は?

そういった視点を持ってしまったら最後、もはや、DV加害者であり、子どもを虐待していた元夫と、所詮何も変わらないのではないか、という思いに苦しめられます。

私は子どもが5才のときにDV・虐待から逃げましたが、こんな苦しみを味わわないためには、もっと早いうちのほうが良かったのかな、という気がしています。